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完璧な援助を求めて

東日本大震災が起こってから1ヶ月以上が経過した。
状況は多少は回復し、物流が動き始め、生活インフラの復旧が始まっている。
もちろん、以前のような生活をすることができる地域、できない地域の温度差はかなりあるのだろう。

ボランティアに行く人々もぼちぼち動き始め、現地に拠点を作ろう、という動きも始まっている。

今回の地震に対するボランティアについて、広く人口に膾炙されたことがある。
それは“ボランティアは迷惑をかけてはいけない”ということだ。

要するに“善意の押し売り”にならないようにしよう、ということなのだろう。

現地のニーズに従い、こちらからあまり提案はせず、食料・宿舎等は自分で手配するという、自分で完結した形のボランティアが求められているのだ。
このことは勿論大切なことで、常に心がけていなくてはいけないと思う。

ただ、こういった“支援のご作法”は、大量の“口だけ批評家”を呼ぶ。

彼らは口をそろえて主張する。
こんなやり方はダメだ。もっとああしろ。もっとこうしろ。

う~ん、援助って、完璧な形じゃないとダメなのかなぁ、とふと思った。

もちろん、準備は必要だし手配も必要。
だけれども、それだけじゃ何となく壁ができてしまうような気がしてならない。
どこかの部分では頼らざるを得ないということはあるだろうと思う。

義捐金にしろ物資にしろ、直接の手伝いにしろ、一長一短で、いつも現地のニーズに適しているかはわからない。
刻一刻と変化するニーズに応対することは非常に大変だし、現時点で現地のスタッフにその情報を発信することを強いるのはとても酷なのではないかと思う。
だって、彼らもまた被災者なのだから。

わたしたちは支援をする時、完璧な、効果的な援助をしたいと思う。
でも、多少の無駄が出ることは否めないし、物資だってきっと今日と明日で必要なものは違うだろう。
正直に言えば、そんなニーズに対応することは現状の体制では難しいということだ。
近場に広い物資の集積所を持ち、無駄になるかもしれないことを覚悟でそこに多くの種類の物資を集積し、ニーズに合わせてすぐ送るという体制にするのが一番効率が良いだろう。
しかしそれでも、物資がだぶついてしまったり、結局最終的に必要ではなくなってしまう危険を伴う。

また、現地に近いところに現金を集め、即買って送るというのも一つ。
そして、物資に関しては半ばあきらめるというのも一つの方法だ。

とにかく、わたしたちに急務なのは、完璧な、効率的な援助を行うためには、人手も場所もリソースも足りないということを認めることなのではないだろうか。
少なくともうちの教団と教区にとっては。

この何日間か考えて思ったのである。
うん、これで“評論家”の出来上がりだな。
クソ食らえ、自分。
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Author:北のサムエル
とある北国のとある地方都市で働くキリスト教の牧師です。思いついたこと、感じたことを、気の向くまま、心の向くままに書き散らします。

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