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楽に生きる

去年の今頃、ぼくは“楽に生きたい”と願っていた。
落ち込んだり浮いてみたり、無理やりにテンションを高めてみたり。

人前に出るのがすごく怖くて、大礼拝も遠慮しようとしていた。
誰も彼もが敵に見えたし、実際にそうだった部分もある。
仕事に関しても、半分はオート自分が作動してこなしていた。

“自分らしくありたい”とか“本当の自分はこうじゃない”とは言わない。
とにかくしんどくて、楽になりたかった。
それが自分で招いたことだとしても。



「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とよく言われるし「若い牧師はもっと開拓伝道とかで苦労しなくては強くなれない」とも言われる。
でも、そうやって心をいじめて、苦労に耐えて、嫌いなことをしていくと、人は蝕まれる。

前にも少し“呪い”について書いたけど、これらの言葉も一種の“呪い”だろう。

それらの言葉は正しい。
そして、彼らはそういった人生を生きて生きて、生ききってきた。
けれども、その言葉が人に向けられる時、それはその正しさゆえに“呪い”の言葉となる。

だって、言い返すことも、言い訳することもできないもの。

ぼくは「苦労は買ってまでする必要はないし、自分と同じ苦労は他の人には味わってほしくない」と思う。
それに「人の気持ちは最終的にわかることはできないし、自分の気持ちを簡単にわかってくれる人などいない」と思う。
いや、一時的に共感はできても、最終的には理解し得ないのが他人だ、ということか。

能力とか、愛情とか、そういったものは“苦労したほど伸びる”という神話がある。
いじめていじめて、たたいてたたいて、そうやって立ち上がってきたものが本物だというのだが、ぼくはまったくそうは思わない。

仕事だって、気分悪く仕事をするより、気分よく仕事をしたほうが、自分のできる限りのことをしようと思うし、新しい技能を修得してでも貢献したくなる、そういうものだ。
愛情だってそう。
試練を与えて、ウソついてみたり、振り回してみたり、試してみたりして立ち上がってくるのが本物の愛情ではない。
相手の気持ちを試すためにする、その行為を愛情とはぼくは呼べない。
むしろやさしく見守り、お互いにおずおずと働きかけていくような、そうしないと愛情は育たない。



「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

梨木 香歩の小説「西の魔女が死んだ」の中の一節。

誰しも、少し自分が楽になれる場所であったほうが、仕事も愛情も、体調も何もかも、すべてにおいてパフォーマンスがよくなる。
その点、生き物はよくわかっていると思う。

先日、キュウリの苗を植えたのだけれども、上手く根付かずに枯れてしまった。
時期が早かったのもあるだろう。
予想外に霜が降りたのもあるだろう。
そうかと思えばクソ暑い日が続いて、水が足りなかったのもあるだろう。

でも、その環境はキュウリにとって楽な場所ではなかったのは確かだ。
霜がよらないようにキャップをしてもよかったし、水をやってもよかった。
(札幌に行っている間だったのでできなかったんだけど)
ちゃんと育てることができなかった。



もちろん、人間は自分のことはわからないから、仕事をしているうちに、人とつきあっているうちに、だんだんと自分のことに気がついていくのだろう。
だけど、その途中で、“こうしなくてはいけない”という思いから、自分の心の底の、身体の中の声に耳を傾けることができないと、だんだんと弱っていく。
根付かなかったキュウリの苗のように。

だから、多少楽になるために、生活の場所を変えるとか、人付き合いを変えるとか、そういった対策を取ることは、別に悪いことではないと思う。
むしろ、自分にとって不快な対応しかとらない人からは全力で遠ざかればいい。
それが許されているのだから。



我慢は別に美徳ではない。
“楽”に生きると言うと、何となく悪いことのように聞こえるけれども、それは決して悪いことではない。
むしろ、人が生きるために必要なことだ。

それに対して“逃げるな”とか“逃げてはいけない”という人もいるけれども、そいつに関しては全力で無視していいし、そういう人からは遠ざかったらよいと思う。
“逃げる”のではなく“戦略的撤退”ですから。

自分が立てる場所まで、少しは楽に立ち上がれるところまで下がるのは逃げじゃない。戦略的撤退です。
そして、自分が楽になって、立ち向かえるようになってから、また立ち上がればいい。
それに、できないものはできないのです。
別に、みんなができるようにならなくてもいい。
あなたができるのなら、フォローしてあげればいいじゃない。
と、思うんだよね。

だからみんな、もっと“楽に”生きてみようよ。
少なくとも、去年の今頃より、ぼくはとっても楽に生きています。いじょ。
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Author:北のサムエル
とある北国のとある地方都市で働くキリスト教の牧師です。思いついたこと、感じたことを、気の向くまま、心の向くままに書き散らします。

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