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曽野綾子さんの書いた文庫本『老いの才覚』が、結構売れているようだ。

その中で「くれない指数」という言葉が紹介されていた。

他人に対して「○○してくれない」という不満をもち、また「○○してくれない?」って依存することがそれだとか。
それが多くなってくると、老人としてはどうなのか、というような話。

でもこれ、別に老人だけじゃなくて当てはまると思いませんか。

思い返してみれば、何となく不満な時って、だいたい心の奥底に「あの人がもっとこうしてくれればいいのに」とか、「なんで手伝ってくれないんだろう」とかの「くれない」がうようよしているような気がする。
でもって、「手伝ってくれない?」と声をかけても、なかなか手伝ってもらえなかったりして、ますます不平不満がたまるという悪循環。
あまりに自責的なのもどうかと思うけど、気をつけないとどんどん他責的になってしまうのだなぁ、と思ってしまった。

「なんでわたしのことをもっとわかってくれないの?」
「最近の若いやつはなんでこうしないんだ」
「どうしてわたしの言ったとおりにしないんだ」
「どうしてもっとみんな自主的に動いてくれないんだろう」

わぁぁぁぁぁぁ。
聞いてて、もっともかもしれないけど、しんどくなってきた。

これを聞かされる方はたまったもんじゃないな、と正直に思う。

もしかして、世の中の不満のほとんどが「くれない」なんじゃなかろうか。

実際、何かを始める時には“自分で全部やっちゃう”という覚悟がないとできないなぁ、と思う。
考えてみれば“一人になってもやる”という覚悟を持って始めたプロジェクトには、不思議と手伝ってくれる人がいたりするものだ。

誰かが手伝って“くれる”ことを期待するんじゃなくて、誰かのことを手伝“う”ことから始める方が精神的に健康になれるのだろう。
実際、誰かにお願いするより前に、こちらから何かをしてあげた人にはお願いを聞いてもらいやすい。

だから、賄賂がなくならないのだろうし、計算高いと思われても仕方がないけど、事実だと思う。

というよりも、人は、誰かに無償で、思いがけずに何かをしてもらうことを嫌がる。
お返ししなきゃまずい、と思うから。
健全な反応だけど、やっかいなもの。

まぁ、押し付けにならない範囲だったら、どんどん人に・社会に貢献していったらいいと思う。
その分、社会で誰かが少しでも楽になれるのだったらどんどん人に与えていったらいいと思う。
その方が、自分の周りの雰囲気が良くなって、自分も楽になるし。

ただし、見返りを期待してはいけません。
「○○してあげたのに、お返ししてくれない」では、「くれない指数」が急上昇です。
もちろん、相手が返してくれるのなら、受けましょう。
だって、その贈り物は、受け取られないと贈り物にはなりませんから。
惜しみなく与えましょう。
そして、贈られたなら受けましょう。

“受けるよりは与える方が幸いである”というパウロの伝えたイエスの言葉は、非常に大事だなぁと思う今日この頃です。

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Author:北のサムエル
とある北国のとある地方都市で働くキリスト教の牧師です。思いついたこと、感じたことを、気の向くまま、心の向くままに書き散らします。

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