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雨の中、傘をささずに踊るのか

「雨の中、傘をささずに踊る人がいてもいい。自由とはそういうことだ。」(ゲーテ)

人は自分にとって不可解な行動をする人を見ると、眉をひそめたり、注意してみたり、怒ってみたりするのだと思います。
もちろん、それは自分だって例外ではありません。

ですが、とりあえず、“よくわからん”“理解不能”と思ったときは、この言葉を思い出すようにしています。
もしかしたら、その行動にはその人なりの必然性があるかもしれないし、もしかしたら単なる思い付きかもしれないし、でも、それが不思議と楽しそうだったりする、そんなこともあるでしょう。
ぼくにとって実害がなくて、本人が楽しそうであるならば、それをやめさせるべきではないと思います。

誰しもが自由であるのだから、別にどんな奇行をしていても、それをとがめだてする権利は誰にもないことになります。
それは自分にとっても同じこと。

冒頭に上げたゲーテの文章、この2文の間に「だけど、ずぶ濡れになる覚悟はしなくてはいけない。ずぶ濡れになったあと、人に服を貸してくださいとお願いして断られても文句を言ってはいけない。しぶきを飛ばして回りに迷惑かけてはいけない。」というのが入っているものも見つけました。

なるほど、確かに自由だけれども、迷惑はかけるなよ、ということですね。
これも“自由”ということの一つの側面かもしれない。

それにね“どんな人間も、その人なりに論理的に、そして合理的に行動する”ものである、と、ぼくは思います。
“よくわからん”“理解不能”と思ったとき、そいつが“頭がおかしい”と決め付けることは簡単です。
でも多分、いや絶対、本気で“頭がおかしい”人はそういないはずです。

誰もが“自分にとっては論理的”なんです。
その論理が、はたから見ると破綻していたとしても。

だから一応、反射的に反応する前に、その人の持っている理論について考えてみます。
すると、それがおもしろい。

もし、それで自分の仮説が当たっていたとしたら、それはとっても達成感がある。
もし、それで自分の仮説が外れていたとしたら、それは“人間というもの”に対しての深い勉強になる。
そう思うのです。

少なくとも“世の中に論理的じゃない人間などいない”と思ってたほうが、色々、後々、ためになるんじゃなかろうか、と思うのです。
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Author:北のサムエル
とある北国のとある地方都市で働くキリスト教の牧師です。思いついたこと、感じたことを、気の向くまま、心の向くままに書き散らします。

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